底無し沼をスイスイスイ

思ったことをつらつらと、書き続けることを目標に

自己紹介

1年半前、母が他界した。闘病の末だったため覚悟はしていたが、それでも今なお悲しみはおさまらない。時間とともに少しずつ、気持ちの整理はついてきている。だがおそらく一生その整理は片付かないのだと思う。ふとした日常のなかで母を思い出し、その度に懐かしくなって悲しくなったり嬉しくなったり。それをえんえんと繰り返していくんだろうな、と漠然と思っている。

私の母はとても愛情深く、明るく、だれからも好かれるような人柄で、まさに家族の太陽みたいな存在の人だった。私はそんな母と話をするのが大好きだった。母はいつでもしっかり自分の考えを持ち、私が小学校高学年になった頃には子供扱いせずに真剣に意見を交わしてくれていた。他愛もない話もオチのない退屈な話も、ただ私が聞いて欲しくてする話に家事をしながらいつも耳を傾けてくれていた。とてもありがたいことに、私にとって”親が話を聞いてくれない”という環境は22年間一瞬もなかったのだ。

だが亡くなった今、私はそんな母と話をすることが出来なくなった。亡くなってすぐは実感がなくて、ふわふわとした毎日をなんとなく過ごしていたが、最近はとにかく”話がしたい”という衝動に駆られている。それは母とはもう2度と会えないのだ、ということを本当に受け止めることが出来始めたからだと思う。だが、受け止められたところで話がしたいという欲はおさまらない。日常で起きたこと、それに対して思ったこと、とりとめのない話から大切な人生の話まで、とにかく聞いてもらいたい。

そんな気持ちを言葉にせずに過ごす毎日は、非常にストレスフルだ。1年半も頭の中でグルグル考え続けてると、もう脳が煮えて煮えて溶け出しそうである。

だから、気持ちを言葉にする作業を日課にしようと思いブログを始めてみた。言葉にすることで天国の母と話ができるわけではないが、でも自分自身のなかで母に語るような気分になれればそれでいいと思っている。誰かのためではなく自分のために、気持ちを言葉にしていきたい。


私が母と話していて一番楽しかったこと、それは”ジャニーズ”について。

好きなジャニーズタレントの番組を一緒に見て、笑って、泣いて。非常に悔やまれることに現場には一度しか一緒に行けなかったが、お茶の間ファンとしてはかなり色濃く楽しんでいた。母はSMAPが好きで、その他ジャニーズタレントもまるで自分の子供のような目線で常に暖かく見ていた。そんな母に育てられた私は、生活の一部に必ずジャニーズがいるという日々を過ごしてきた。物心ついたときにはスマスマのコントの真似(主にサンキューゴロー)をして、V6のWAになっておどろうを歌って踊って、母を喜ばせていたと思う。また、私が小学生になり、初めてSMAP以外のジャニーズ:山下智久くんを好きになってからは、今度は母が私の影響でNEWSや嵐を好きになっていった。

私は非常に一目惚れしやすい体質で、映画ドラマ雑誌バラエティで彼らが魅せるパフォーマンスが私自身に”しっくり”くる人がいれば、すかさず追っていくというスタイルでファンをしてきた。そのため幅広く、でもそこそこ深く、どのグループ・ジャニーズタレントも理解してるし好きだ。しかし母の闘病と他界、私自身が社会人になったことが重なり、時間的にも気持ち的にもジャニーズから離れてしまった私は、気づくと約2年間も非ジャニオタ生活を送っていた。

毎日特に楽しみにすることがなく、仕事に疲れて寝るだけの生活。彼氏がいても、平和な日常をただ過ごすだけ(それはとてもありがたいことだが)で、毎日のキラキラドキドキはまるでない。なんとなーく、SMAP、嵐好きだとは自覚してたが、母を思い出すから現場に行くことはなかったし、メディアを追うこともいつの間にかしなくなっていた。活動のチェックもせず、CDも買わなくなっていたそんなある日。2015年の24時間テレビ、真夏の夜の生男子会で転機が訪れた。リアルタイムでは見てなかったのだが、次の日会社に行ったらその話しで周りが盛り上がっていたのだ。周りが話しているのを目にして、ずっとジャニーズ好きなのにチェックしてなかった自分に驚きつつ、その場はなんとなく話を合わせて、後日某動画サイトで見たみた。そうしたらなんと、総勢20名(V6、嵐、Hey!Say!JUMP)のキラキライケメン男子達が、Tシャツにズボンという出で立ちなのに画面を割って飛び出してくるんじゃないかとばかりに、こちらを圧倒してくるではないか。安定感たっぷりのV6、トークを回すのが絶妙過ぎる嵐、まだまだグダグダ感があるが20代男子として若さあふれるフレッシュなHey!Say!JUMP。グループそれぞれに違った魅力があって、その中の個人にも皆んな違った魅力がある。その魅力は生まれ持ったものだったり、努力によって得たものだったり、先輩ジャニーズの影響だったり、グループの歴史や境遇によるものだったり、共に過ごしてきた時間の長さ故だったり。社会人になってちょっと冷静に、客観的に芸能界を見れるようになったからこそ、久しぶりに”ジャニーズ”という帝国の面白さに気付かされたのだ。

ここで眠っていたジャニーズ遺伝子が一気に目覚め血を通わせ始めた私は、坂道を転がる勢いで再びジャニーズを追い始めた。特にハマったのは、j.j.expreesの頃に「1番好きなのはこの子かな〜、でもまだ垢抜けてないしな〜」と思って特に追ってはいなかった伊野尾慧くん。「伊野尾がかわいい、腹が立つ」というネーミングが気に入ったのと、え!?あの伊野尾くんがいまこんな立ち位置に…?というギャップにすっかり驚き魅了されたのだ。そしてそんな伊野尾くんを入り口に、みんないつの間にかこんなに大きくなったの!?というジャニーズあるあるが楽しくて、Hey!Say!JUMPの現場に足を運ぶまでになった。更に、社会人になったことで自分の稼ぎを元手にお金を使えるので、学生時代に比べるとまあーいろんなグッズを手に入れられる。手に入れられるからどんど魅了されるし、やっぱりジャニーズは外れないな〜、と思って、刺激を求めて他のグループにも手を出し始める。なまじどのグループも学生時代に浅く追ってたため、2年間のブランクを埋める作業がとても楽しく充実している。そしてブランクを埋め終えると、浅い知識だった部分をもっと追いたくなってもっと遡って埋めていく。グルグルグルグルと輪廻転生のようである。アイドルという虚像を追いかける意味を考えてしまうことはあるが、どうしたってジャニオタは辞められない。私は彼らの生み出す最高のパフォーマンスに、もう魂を奪われているのだ。アーティストはライブ中に死ねるのが本望、なんて言うが、私だってコンサートで自担からファンサもらえて死ねたら本望である。だが死んだら元も子もないので、無理のない範囲で、彼らのパフォーマンスを追い続けていきたいと思っている。このブログは、そんな日々の自分の気持ちを成仏させるために書くのをモットーに書き続けたい。


最後に、タイトルを「自己紹介」にしたがあまり紹介した感じかしないので、担当遍歴の整理がてらに書いておこう。

メーカー勤務の営業職で社会人2年目、Hey!Say!JUMPの有岡くんと同い年。小学生で山下智久くんと櫻井翔くんに恋をし、中学在学中にNEWS(山下智久担)、関ジャニ∞錦戸亮担)、KAT-TUN赤西仁担)がデビューするというジャニーズにはまるしかない青春時代を過ごす。花男フューチャーとともに櫻井担→松潤担となるが、二宮くんにも心を奪われ結果嵐のFC加入へ。嵐を追い続けるのは良いがなかなか現場へ行けないもどかしさを抱えていた頃、SMAPの現場へ母を連れて行きたくてSMAP FCに加入。暇な大学生のため番協に当たりまくり、気づいたらすっかり嵐の更新を忘れ母よりもSMAP(木村担)ファンに。同時期にYJ友人が出来たことで初めてYJのコンサートに行き、現場の楽しさを再確認する。この友人のおかげでKAT-TUNの現場にて初めて神席なるものを経験し、ムービングステージから田中聖くんに見下ろされ「絶対に好きにならないと思ってたのに好きになっちゃった」を経験する。その後母の闘病とともにジャニーズを離れたが、今は、信仰するならSMAP・嫁になるなら嵐・恋人にするならNEWS・友達にするなら関ジャニ∞・一夜のアバンチュールを過ごすならKAT-TUN・双子として一緒に歳をとって過ごしていくならHey!Say!JUMP・子供にするならSexy Zoneといったスタンスでファンをしていきたいと思っている。我ながらくだらないこと言ってるな、と思うが、こういう話をいつも聞いてくれていた母と会話する気になることで、自分の気持ちを消化していきたい。